価値観の変化

昨日に続いて「コロナによって変わったこと」ですが最近よく思うのは、日本社会において「東京」の価値が変わるんだろうな、ということです。

僕はちょうど20年前に、高校卒業・大学入学のタイミングで東京に出てきました。
当時を振り返ってみると、とにかく東京に行きたいという気持ちは強くありました。
将棋とは関係なく、自分の世代は(広島は地方都市の中ではかなり都会ですが、それでも)東京に出たい、と思っていた人はかなり多かったと思います。
よく知りませんが上の世代でもたぶんそうだったと思うし、その後の世代も、似たような感じではないかと思います。

将棋界では僕のすこし下の世代から、急速に関西棋界が活性化したことは、よく知られています。
いま思えば20年前、その兆しはすでにあったわけですが、自分自身がそれを感じることはできませんでした。
その頃すでにネット将棋も台頭前夜で、あと2年くらい違えば、大阪に出るとか広島に残るといった選択肢もあって、また違った人生だったかもしれません。

社会一般に目を向けるとこの十数年、日本社会は地方創生、地方分権が叫ばれる中で、実際には東京一極集中が続いている印象があります。
とにかく人が多く、そして増え続けています。
それだけの価値が、あるからです。
それがいま、ものすごいリスクになっています。
今後、「東京」の価値が下がる可能性は高いと思っています。

人が集まる、ということをリスクと感じる人が増えれば、当然ながら人の流れが変わります。
ビジネスチャンスを狙う人は、その結果何が起きるか、ということをあれこれと考えているはずです。
特に都心は景色が(いまだけではなく)大きく変わるだろうし、また、そうでなくてはいけないでしょう。

東京以外の中核都市や、観光地なども、価値観が180度変わっています。
これまで、東京とのアクセスが良い、ということは大きな価値でした。そのおかげで、たくさん人が来てくれるからです。
いまや、東京からは人が来ないでほしい、となっています。リスクが高いからです。
東京からお客さんがやってくる、ということを前提とした街づくりがこれから変わっていくのだろうと思います。
それよりもある程度自己完結できる規模、適切な大きさの街づくりが、より大切になってくる気がします。

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現在、多くのスポーツでは(通例とは異なる)無観客試合によって、継続を図る動きが出ています。
個人的には将棋界ももっと生観戦を増やすべきだと以前から思っていました。
ただいまとなっては、幸か不幸かそれが実現していないおかげで、公式戦の継続が可能になっている、という側面があるように思います。
まさかこんなことになるとは思いませんでした。

将棋界唯一の全対局公開棋戦である日本シリーズは、開幕からの3局をスタジオで行うとの発表がありました。
JTプロ公式戦は僕も子供の頃何度も見に行ってましたし、その後行われるようになった子ども大会は、間違いなく将棋普及に一役も二役も買ってきました。
残念ですが、たしかに現状で普段通りの開催は難しそうです。

その他にも、全国大会につながるアマ大会は中止の発表が続いています。
一年休んで、来年は元通り開催する、というのは常識的な発想ですが、他に手はないものか、ということも時折考えています。

つらつらと、思いつくままに書いてみました。

2件のコメント

  1. 終息しても密を避けるようとする気持ちは継続すると思われます。おっしゃる通り、東京への投資集中の流れは変わるかもしれません。まちづくりにも影響が出るでしょう。
    いつも気付きにくい視点からの客観的なコラムをありがとうございます。

    1. 投資、と言えば藤野さんが似たような視点のコラムを書いておられるのを、このブログを書いたあとでたまたま知りました。
      https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72106

      ビジネスの世界に生きておられる方は、その変化が起きる前提でではどう動くべきか、ということを考えていると思います。

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