モバイル中継のこととか

昨日も書きましたが、タイムショックは今夜7時です。
よろしくお願いします。

何日か過ぎてしまいましたが、遠山編集長、退任なんですね。
モバイル編集長の退任について
9年務めたとのこと、もうそんなになりましたか。
何はともあれ、お疲れ様でしたと言いたいです。

彼の編集長就任はモバイル中継立ち上げと時期を同じくしていますがそれより前、ネット戦略に関する委員会が立ち上がってから数えると十数年になります。
当時の苦労を思えば懐かしいですが、おかげさまでその後日本将棋連盟モバイルは将棋ファンにとってなくてはならないコンテンツになったと思います。
あの頃があっていまの隆盛があるわけで、当時の米長会長の功績は言うまでもないことですし、編集長も突然の抜擢に対し、期待に応えて十分恩返しができたのではないでしょうか。

自分自身も同じ委員を務めた頃からの付き合いで、特に担当理事を務めた頃(もう4~6年も前のことになるのですね)にはよく一緒に仕事をしましたし、現在や将来のウェブ戦略についていつも話をしていました。
また当時は彼のように連盟のために尽力する棋士を増やしたいという気持ちを強く持っていて、具体的な提案もしたのですがこれは結果としてはうまくいきませんでした。

今回、そういった方向性とは逆に「役職そのものがなくなる」とのことで個人的にはとても残念に思っています。
どちらかといえば理事以外にも多くの棋士が(編集長に限らず)、いろいろな形で事業に参画するような形を期待していたからです。
もっとも経営戦略というものは変化していくものなので、編集長という役職が不要という判断であればそれは仕方のないことでしょう。
ただ、今後のビジョンも含めて、何がしかのリリースぐらいはしてほしかったですね。
後任はいません、特に発表はしません、今後も同じように続きます、というのはあまりに不可解ですし無責任なような気がします。

役職をなくすということは、(少なくとも内部的には)事業は縮小になるわけなので、この10年間、将棋連盟の新たな事業の柱と位置づけてきたところからの方針転換ということになります。
では新たにどういった施策を打ち出すのか、今後は会員数を維持・拡大するためにどうしていくのか、そういったビジョンが見えてこないのはかなり心配です。

話は変わって、このニュースはびっくりしました。
「AbemaTV」と「niconico」が協業

この件について「国内で競争している場合ではない」というコメントがあり、その是非・善悪やそういう判断に至った経緯は自分にはもちろん分かりませんが、経営にまず必要なものはこうしたビジョンではないかと思うんですよね。
お世話になっている業界の話なので、今後の展開には注目しています。

いま、将棋はおかげさまで大ブームなので、しばらく前のように経営危機とか、斜陽産業とかいう現状ではなくなりました。
ただ、だからと言って将棋連盟の経営が安泰というわけではありません。
そういえばお隣の囲碁界は経営不振で理事長が交代されたとのこと、これも驚きのニュースでした。
将棋界もどうやってファンを増やしていくか、どうやって収益を得ていくかという根本的な部分で、しっかりとしたビジョンを打ち出していかないといけないでしょう。

モバイル中継の会員数を増やすというのは、この10年間ずっと柱の一つであったわけで、それに代わるものが果たして何なのか、というのは最近よく考えていることですが、いまの自分にはちょっと分からないままです。
春休みで時間があるせいか、最近いろいろと考えているのでどこかで一度書いておきたいと思っていました。

新元号とか

昨日の発表には僕も注目していました。
れいわ、「和」はともかく「令」という字はすこし意外でしたが、なかなか良い響きに思えます。

とりあえず最初に思ったことはこれ。

あとでTLを見た感じでは、どうやらごく平凡な反応だったみたいですね。
そういえば「3月のライオン」の主人公も桐山零くんでした。

しかしあと1か月で平成が終わるというのは、なんだか実感はわきません。
ただ、新しい時代への期待感や高揚感というのは、なかなか良いものですね。
次の時代が、未来により希望を持てるような社会であってほしいと願います。

また昨日は恒例の将棋大賞の発表がありました。
最優秀棋士賞に豊島将之二冠、第46回将棋大賞決まる

豊島二冠と渡辺二冠の最優秀争いは、難しいところだったかもしれません。
升田賞や名局賞関連は、個人的にはちょっと意外な結果が並びました。
将棋世界への投票内容等は、またその時期が来た時に。

明日はタイムショックです。
番組表見たら東大王と同じ時間帯のようで、両方出てる人いないのかな(笑)
録画予約をお忘れなく。

準優勝

実はこの土日は、ギャモンの大阪オープンに出かけていました。
2日間通してわりと出目が良く、メインと、他にサイドイベントでも決勝進出することができました。
最後は10-6クロフォード(あと1点取れば勝ちの状況)からの逆転負けだったのでそこは残念ですが、準優勝は十分満足できる結果で嬉しいです。

僕はこれまで地方大会は相性が悪く(非公式の前夜祭や初日夜の公式宴会で全力を出しすぎるのが原因だと思う)、大阪のほかに札幌・青森・名古屋等、ほとんど勝った記憶がないので今回の結果は自分でも驚きました。
たぶんまだトータルでは負け越している気がするので、良い感じに星が集まってくれましたね。

ということで、今年は普通に賞をいただいたので、エイプリルフールは中止になりました。
昨年はブログ大賞を受賞したわけですがwあれからさらに1年、再び365日毎日更新してきたので、そろそろ本当に誰かから表彰されてもおかしくないかもね。

正直言って毎日更新を続けることに大した動機はないのですが、生活が不規則になりがちなので朝の習慣を一つ持つことでその改善、あと遠く離れた親や友人に近況が知らせられる等々、何のメリットもなさそうに見えても、案外そうでもなかったり。
とはいえいつまで続くかわかりませんが。もし千日経ったらそのときは誰か教えてください。
ということで今年度も、引き続きよろしくお願い致します。

今年度総括

年度末なのでごく簡単に、今期の成績などを振り返っておきます。
今年に入ってからの対局はまだまったく紹介できていないのですが、実は来週から出かける予定があり、そこでまとめて投稿するつもりです。

今期は夏に七段に昇段し、棋王戦では本戦に出ることができるなど、前半は比較的良い滑り出しでした。
しかし秋に棋王戦ベスト4入りの一番、冬には王位リーグ入りの一番を負けてしまい、この前後あたりから調子を崩してしまいました。
年が変わってからは順位戦や竜王戦でもふがいない負け方が続きました。

トータルとしては平年並みを大きく上回るには至らず、来期に向けて目標と課題も残しました。
年度25勝で通算300勝という目標にも、だいぶ届きませんでした。
1回戦負けが多かったので、勝率が上がらなかったのはやむを得ません。
また実力を十分発揮したゆえの逆転負けも多い一方で、序盤で失敗して力を出せないままの完敗も多かったので、いずれも大きな課題です。

ただ、自分なりに振り飛車のコツや面白さが分かってきた部分もあって、特に先手中飛車に関しては良い成績を残すことができました。
半面、後手番では苦戦が続きました。このあたりは自分の指し方も当然ですが将棋界全体の環境によるところも大きいと思います。
来期はどんな戦い方で臨むべきか、シーズンオフになった今も日々、悩んでいるところです。

年明けには本を出すことができました。
平成新手白書
かなり良い内容になっていると思いますし、平成の時代が終わった後のことも意識して書いているので、長く手元に置いていただけたらと願っています。
次は振り飛車編を出すことが、今年の秋頃までの目標です。

そのほか、棋士としての活動・仕事も、いろいろとさせていただきました。
前の一年と比べると、今年度はかなり棋士らしくなってきたと感じています。
いろいろと他の棋士と違うところもあれど(誰しも当然のこと)、やはり自分は将棋の棋士なのだ、というのは常に根底にあるところです。
来年度もいまぐらいの感じて行けたら良いなと思っていますが、波もあるのでどうなることか。

来年度も、対局で良い内容と結果を残すことが、月並みですが一番の目標です。
モバイル中継やこのブログ等で、応援していただければ幸いです。

棋士と哲学者

まえがきを読んだだけで、ああ、こういう世界もあるんだなと圧倒される。
それはたぶん「糸谷哲郎がごく普通であるような世界」が垣間見えた瞬間だったのだと思う。
言うまでもなく僕らは普段「糸谷哲郎は普通ではない」ような世界に暮らしている。

戸谷さんから見た「普通の院生」であるところの糸谷哲郎は、一方では「常人離れした戦いの人」でもあり、そんな彼の「戦いに関する考えを引き出すこと」こそが、本書のテーマであると戸谷さんは語る。
必然、その対話の場においては戸谷さんもまた「常人離れした戦いの人」にならざるを得ない。よって本質的にどちらがより「戦いの人」なのかは、よくわからない。
と僕は思うのだが、戸谷さん自身は「僕は戦うことが嫌な人間なんだと思う」とはっきりと述べている。

二人の戦いの軌跡を見てみれば、基本的には世界にあまり歩み寄りを見せない糸谷に気づいて、戸谷さんが歩み寄っていく、あるいは歩み寄らせようとする様子がうかがえる。
意識的にそう振る舞っているのか、自然に会話するとこうなるのか、それとも僕の勝手な解釈なのか、興味を持たれた方にはぜひ確かめてほしいし、意見を聞いてみたいところでもある。

あとがきを読んでみれば、まるで返書のようにまえがきと対になる内容が並ぶ。
飛んできた球すべてを律義に打ち返す彼のスタイルは、「糸谷哲郎がごく普通であるような世界」においても、何ら変わるところはない。

この対話について彼が「’哲学の話があまり出ないと’これだけ和気藹々としゃべることができる」と書いているのはなんとも面白い。たぶん、狙っているとかではなく単なる本心なのだろうが、果たしてそう感じる人が読者にどれぐらいいるものだろうか。

そしてわざわざ最後の最後に「最後まで読まなくても大丈夫ですので」と書く著者も珍しいとは思うが、たしかに普通の人生を送っていて役に立つような内容ではないし、読んでいてところどころ、大変疲れることも請け合いである。

たとえば冒頭「勝負とはどういうものですか」と問われた糸谷は、「まずどこからどこまでを勝負とするかという問題があります」と質問の定義づけから話を切り出す。議論というのはこういうものなんだな、難しいな、と僕は思う。
難しいけれど、実に興味深い。とも僕は思う。

ただ難しいけど興味深いばかりでは読者がついてこないので(ということだと解釈した)、そこは「世俗的な」戸谷さんが、いろいろと仕掛けを用意してくれている。
とても読み応えがあり、楽しい一冊だった。