しばらく前に話題になっていたんですが、最近ようやく読み終えたのでご紹介。
猛烈に面白かったです。
見た目は将棋世界のムックかなという感じですが、本当の中身は哲学書。
でもこの号の内容は、大半が将棋で、何とも不思議な雑誌です。
佐藤康光九段が
やはり天才の定義としてはふたつあって、ひとつは一瞬の煌めき。(中略)もうひとつは、(中略)同じことを長時間持続させる才能。技術ではなく、精神的な部分ですね。その両方が備わっていないと、天才とはいえないのではないかと思います。
と言えば、
次に羽生三冠が
ひとつは若いときの煌めきにあります。
しかし同時に40代・50代になっても活躍をされていたので、継続して活躍していたという意味でも天才といえると思います
と似た角度から語り、
しかしそうかと思うと今度は森内九段が
安定型というよりも爆発力のあるタイプの棋士で、そういう方のほうが天才的だと思います。
あるいはもうすこし別の視点から見れば、将棋界では、新戦法や新しい手を生み出すような独創的な将棋を指される方が天才といわれるのかなと思います。
とすこし視点を変えて語っていたり。
なかなか将棋雑誌でも組めないような、贅沢なラインナップ、濃厚な特集になっています。
個人的にとても興味を惹かれたのは先崎九段のこの一節。
才能というのは生ものなので腐りやすいんです。取り扱い危険物というか、かえってその腐ったにおいに自分自身が耐えられなくなって駄目になってしまう。それよりも将棋の世界は必ず勝ち負けがつくので、負けたときにどう乗り越えていくかとか、ひじょうに精神的ストレスを伴うところで対峙していかなければいけない。そういうとき将棋の才能というのは役に立たないですからね。プロのトップ10に入るような世界では、才能があっても勝ち負けに対する耐性がなければ駄目なんです。
天才は天才を知る、かどうかは僕には分かりませんが、棋士は棋士を知る、棋士にしか分からない棋士の世界、というものはたしかにあって、そういうものをこれだけまとまった分量、まとまった熱量で読めるというのは貴重な体験でした。
あと天才論といえば、最近読んだ山口瞳さん(この方はかつて将棋界の大変な支援者だったそうです)の「続・礼儀作法入門」にこんな一節がありました。
私は、天才と常人をわけるものは集中力にあると思う。もしくは持続力である。ある時期において、ひとつのこと(自分の好きなもの、自分に関心のあるもの)に全身全霊でもって集中できるのが天才である。(中略)だから、私は、天才が偉いとは思わない。それは人間のひとつの型であるにすぎない。私は自分が常人であることを悲しまない。
これはいろんな意味で共感するところ大で、僕は棋士の中ではたぶん飛びぬけて集中力がないほうなんですが、まあそれはそれで一局の将棋、一局の人生だなあとよく思っています。
はじめまして。今回紹介されている書籍を読んでみたいのですが、教えていただけますでしょうか。よろしくお願いします。
>みつしさん
こんにちは。アマゾンのリンクを貼ってあるのですが、見えないでしょうか?
お返事有難うございます。ブラウザの広告をブロックの設定をしていて見えまいせんでした。お忙しいのに有難うございます。m(_ _)m
早速買いました。届くのが楽しみです。
棋戦がんばってください。応援しています。
>みつしさん
どうもありがとうございます。がんばります。
「ユリイカ」という雑誌の、加藤一二三先生の特集記事です。
肝心のこの紹介が抜けていましたね。すみません。