温故知新

最近の序盤戦術における流行の変遷を見ていると、「温故知新」という言葉が浮かぶことが多く、このブログでもすでに何度か書いたと思います。
先日読み終えた古い本(末尾に貼ります)の中に、こんな一節があって、目を引きました。

振り飛車と決まれば互いに玉の移動は当然で▲6八玉に私も△6二玉と囲いにつく。つづく▲7八玉も自然な囲い方。ここ玉の移動を保留し▲5八金右から▲5七銀、そして▲7八銀から▲7九玉と左美濃に囲う指し方もあるところ。いずれもいわゆる一局の指し方で優劣は断じ難い。

この▲7八銀~▲7九玉という指し方は、銀冠穴熊が流行するまではほとんどなかったのかと思っていたので(実際2年前ぐらいから急に増えている)、40年以上も前からそういう発想があったというのはよく知りませんでした。
昭和49年の▲加藤ー△熊谷戦なんですが、当時はおそらく位取り全盛の時代だし、時代が下って僕が子どもの頃に勉強した「左美濃」というのは天守閣美濃だったので。

いまのコンピュータ将棋は決して昔の将棋を勉強したわけではなく、自力で考えてこうした戦術にたどりついているはずなのに、こうやってずっと昔にあった発想と重なり合う部分があるというのは面白いです。

あとこの自戦記にはこんな一節があって、これも驚きました。

加藤君(※一二三九段のこと)の対振り飛車作戦にはどちらかといえば早仕掛けの急戦が多くその場合ほとんど自分の方から▲9六歩と端歩を突いていることがない。

ちょっと調べた限りでは、たしかにそういう傾向があるようでした。もちろん僕は知りませんでした。

データベースはおろか、コピー機もないような時代に、よくそんな細かいところまで見ていたものと思います。
当時の棋士は、どうやって相手の研究をしていたのですかね。
いまは便利になりすぎてしまって、昔のことは想像がつきません。

こうやって昔の棋譜や解説を見るのは面白いですね。
勉強というよりは趣味の面が強いのですが、いろいろと発見もあるし、できることなら毎日こうやって過ごしていたいぐらいです。

 

昨日の谷川ー大橋戦、光速流発動に興奮したファンの方も多かったのではないでしょうか。
あまりに鮮やかな詰みで、感動しました。
途中は谷川先生のほうが苦しいように見えたのですが、あの形は詰みありと見切っていたのでしょうね。
読みの正確さとともに、角換わりの経験値を感じる終盤戦で、印象に残りました。

 

【王手報知】引退決めた蛸島女流六段の願い…女流棋界をもう一度一つに
いろいろと思うところ、なしとはいかない記事です。

あれから10年以上が経ち、当時のことをまったく知らない若手女流棋士も多くなりました。
特にここ数年はかなりのペースで女流棋士が増えています。
今後自分たちがどういう世界を作っていくのか、そのために過去を振り返り、未来を考える機会があると、良いのかもしれないなと思いました。

 

2件のコメント

  1. テーマとは関係ありませんが将棋連盟に提案です。

    1. テレビ中継の際ゴミ箱が目立つ位置にあるのは感心しません。

    2. 勝負に集中している棋士に食事の注文を聞き、お金を払わせるのは問題では

    ありませんか。食事の注文と支払いは対局前に済ませるか、せめて支払いは連盟

    で立て替えて、給料日に天引きするようにしたらいかが

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