名局とは

昨日の羽生ー糸谷戦、渡辺ー佐々木戦の2局は、いずれもさすがトップ棋士と思える、ミスらしいミスのない好局だったように思いました。
前者は角換わり、後者は矢倉で、いずれも定跡形ではなく、しかしこれまでの経験は生かせそうな形。
歩の手筋が特に多かった印象で、まさに「盤に並べたい名局」といった趣でした。

そう、かつては名局は盤に並べ返して堪能するものでした。
いまはすこし、変わってきているかもしれません。
ただ、「良い手は指先が記憶している」のは、今も昔も、変わらないと僕は思っています。
自分は棋譜並べはもっとも好きな勉強法、というよりもはや習慣のレベルです。
対局を仕事としながらも、本質的には「観る将棋ファン」なのでしょう。
この楽しさを、多くの人と共有したいといつも思っています。

 

数日前、弟弟子の糸谷君の連続ツイートが目を引いたので、一部引用します。
(元データは@kansaishogi

あくまで私見ですが、こういった見地からは「名局」は生物です。鮮度が落ちても干物として食べられますが、やはり美味しいのは刺身ではないかと思います。

補足しますと、干物は干物でまた刺身とは違った味わいがあり、むしろ干物にしたことにより味わい深くなる魚もあると思っております。ただ、刺身は今しか食べられない可能性もあるということです。

哲学者の文章なので簡単に解釈するというわけにはいかないですが、やはりリアルタイムに勝るものはなし、といったところでしょうか。
加えて、多くの鑑賞者の目に触れることが、名局をいっそう名局たらしめるという側面も、あるように思います。
ぜひ多くの皆様に将棋観戦を楽しんでいただきたいですね。

 

ところで、将棋連盟ライブ中継のサービスが始まるとき、毎日やっていることが、必ず大きな価値になる。
という話がありました。
おかげさまでいまは、ほぼ毎日リアルタイムで、複数局が中継されています。
当時の理念は確実に実現できていると感じます。

自分も、できる限り毎日、こうやって将棋の話を書いていくつもりなので、読んでいただけたら嬉しいです。
縁あって一度訪れた方には、その後はとりあえず一日1回、チェックしていただければ。
ちなみにいま、基礎ユーザー数(という表現で良いのかどうか?)は、だいたい1000人ぐらいではないかと思われます。
この数字がプロとして多いのか少ないのかは、よくわかりません。
続けることで、この数字が増えていってくれたら、それもまた一つの将棋普及の形だと思うので、とりあえず倍を目標に頑張ってみます。

 

コンピュータが強くなったいま、我々棋士の役割が、おのずと変化していくのは、当然のことです。
指し手の解説に関しても、正しい手を示すためだけならば、棋士はもはや適任でないのかもしれません。

ただ、たとえば冒頭のような簡単な感想を述べることも、コンピュータには難しいと思います。
また、たとえ最善手を導くことはできても、ある指し手を見たときに、どう感じたか、とかおそらくこういう読み筋で指したのだろう、とかは、コンピュータにとっては表現できない部分です。
そういう人間ならではの役割を大事にしながら、やっていきたいと思っています。

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