棋士の人生

今日もまた、最近読んだ本の紹介なのですが(そのうちやろう、と思っていたことを実際にやるのは、なんだか宿題が片付いていくようで心地良い)、「棋士という生き方」はとても良い一冊でした。

若いうちは対局を頑張り、好成績を収めて、ある年代からは教室といういわば自分の城を持ち、指導や経営という面でも活躍して、その甲斐あって多くの弟子やお客さんに恵まれる。
――というのはまさに、棋士としての理想の姿だなあ。と心底思いました。

棋士という職業は、棋士になれて良かったと思っている人がおそらくほとんどであるという意味において、とても恵まれた世界と言えます。
ただ同じ棋士でも活躍の度合いは違いますし、盤外でどういう活動をするか(あるいはしないか)も全く違います。
しかもこの世界に入る年齢も、棋士になれる(就職)年齢もバラバラ、引退(一般的な退職に多少近い)時期も違いますし、我が師匠の森信雄のように「引退してからのほうが忙しい」と言っている棋士もいるぐらいで、つまりどういうキャリアを過ごして、どういう働き方をしていくか、なかなかモデルケースというのは難しい世界です。
ただその中で、こういう棋士人生を送れたら幸せだろうな。ということははっきり思いました。

実は自分も先日師匠に会ったときに「(奨励会の)弟子を持つこと」と「教室を開くこと」を、勧められました。
その意味とか、詳細は書きませんが、自分なりに、将来設計とかも含めて、どういう棋士人生を過ごすか考える時期ではあるので、改めて考え直す機会になりました。
(わりと若い頃から常に考えているほうだとは思うけど、特に)

実は教室は、これまでも考えたことはあるのですが、最近わりと増加傾向にあるのを見ていて、「自分が」何かやるならすこし違った形かな、と思っています。
その何か、は自分の頭の中にはいくつかあるのですが、当面はもうすこし対局優先でいきたいなと。
将来的に何かやるかもしれないし、やらないかもしれない、もちろん分からないのですが、もし思い立ったら行動できる自分でいることが大切かなといまは思います。

本の中に出てくる石田先生の言葉の中で「気軽に一生懸命に」は特に印象に残りました。
これは自分も日頃から思っていることもあって、将棋はもちろん一生懸命、それこそ死ぬ気で指さないといけない。
でも実際は将棋に負けてももちろん死ぬことはないし、むしろキズ一つ負うことはないんですよね。
本来は気楽に、楽しくやるべきものです。
そういうものに打ち込める自分の境遇に気付くと、自然と感謝の念がわいてきます。

最近内容の悪い将棋が続いてしまって、ちょっと苦しいんですが、書いていてなんだか、次は良い将棋が指せそうな気がしてきました。
長い棋士生活、これまでもすでに山あり谷ありでしたが、これからも気軽に一生懸命に、将棋に取り組んでいきたいと思います。

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