将棋世界

昨日、あんなふうに書きましたのでその流れで今日は将棋世界の話題を。
早いものでもう新年号(1月号)なのですね。新春特別座談会がまぶしい。

今月とても目を引いたのが「強者の視点」(深浦九段)のこんな記事です。
ちょっと長く引用します。

 現代は将棋ソフトやインターネットなど情報を得る場が多く、特に将棋ソフトは強者です。答えが出せる局面も多く、それをあまり抵抗なく吸収しているのだと思います。例えば子どもが『青信号で渡りなさい』と親から教えられたら素直に従うように、ソフトが示す手を何の抵抗もなく、素直に取り入れている。

 自分を含め羽生世代は、定跡はまず疑ってかかることから始めました。一から考えるという作業です。ところがいまはソフトが答えを出す。正解に近いものがそこにある。真逆のことをやっています。

自分にとって、将棋の勉強とは「調べること」とか「覚えること」ではなくて、「考えること」でした。
その延長線上に「実戦」もあるわけです。
何が正解か分からない局面を前に、考える訓練をするのが勉強。
そして実戦というさらに何の助けも得られない場で、それこそ必死で考えるからこそ強くなる。
これが大前提でした。

 約30年前、将棋会館の控室ではA級順位戦を羽生、森内、佐藤康、先崎等の若手の面々が継ぎ盤を囲んで検討する風景が見られました。ところが終盤の難所で沈黙が訪れる。10名近くいるが、間違ったことを言うとすぐ反論される。軽く「これはどうですか」と言うと、「それはこうこうこうでダメなんだよ」と返される。そうなるとだんだん口を出せなくなる。そういう時代だった。

たしかにそういう光景はあまり見られなくなりました。
ただ、考えても考えても答えが出ないよりは、考えたことの良し悪しがある程度分かるほうが、同じ考えるにしても効率が良いということは言えます。
つまり自分で真剣に考えることと、フィードバックを得て反省することの、バランスが良いタイプが伸びるというのが現環境下で起きていることなのでしょう。

またいままでは将棋に特に必要なものは思考体力だと言われてきましたが、(相対的に)記憶力の重要性が年々増しているのが最近の流れだと思います。
そうした環境の変化にどう適応するか、というのは覚えることの苦手な自分にとってはものすごく大きな課題です。
もっとも自分の場合は、いまさら短所を大幅に改善することは難しいので、考えるべきは自分の強い部分がどう生きるようにするか、ということかなと思います。

関連しているのか偶然なのかは分かりませんが、「イメージと読みの将棋観」の「図巧・無双を全部解けばプロになれるかどうか」は興味深いテーマでした。
ただ正面から答えていない回答もあったような。yesかNoかは全員からはっきり聞き出してほしかったです。

自分は、それはもう間違いなくなれると思うんですが、増田六段がきっぱり真逆のことを答えていて興味深く思いました。
藤井七段も、比較的慎重な答えだったような気がします。

難解な長手数の詰将棋を解くのは、いまや効率の良い勉強法でないのは間違いのない事実でしょう。
突き詰めていくと、プロになろうと思ったらとてもそんな暇はない(毎日何時間も定跡を覚える訓練をしないとプロにはなれない)みたいな世の中になる可能性も、あるかもしれません?
あまり、考えたくない未来ですが、もしそうなったときにはプロ棋士の実力もいま以上に大幅にアップしている可能性が高いので、それはそれで仕方ないことかもしれません。

4件のコメント

  1. いつも楽しく読ませていただいております。
    イメージと読みの大局観
    ではなく
    イメージと読みの将棋観
    ではないでしょうか?

  2. 私の高校時代(今から四半世紀ほど前ですが)、数学の成績を手っ取り早くあげるのは、ひたすら答えを書き写して丸暗記すること、と言われたことがありました。
    答案用紙を目の前にして解くより時間はかからない。
    今の数学を含めた試験がどうなってるのかは分かりませんが。
    深浦九段の話から、今の将棋界と似た印象を受けました。

    ただ、力戦になって(初めての問題を目の前にして)あたふたするのかな、と。
    見てる側は楽しいんですが(笑)

    1. たしかにそういう先生や生徒もいた気がしますね。
      自分にはそういう勉強法はムリでした。
      学校の試験はいまも昔と同じなのかどうか?
      本当は力戦のほうが良いと思いますが、採点は大変そうですね。

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