棋士と哲学者

まえがきを読んだだけで、ああ、こういう世界もあるんだなと圧倒される。
それはたぶん「糸谷哲郎がごく普通であるような世界」が垣間見えた瞬間だったのだと思う。
言うまでもなく僕らは普段「糸谷哲郎は普通ではない」ような世界に暮らしている。

戸谷さんから見た「普通の院生」であるところの糸谷哲郎は、一方では「常人離れした戦いの人」でもあり、そんな彼の「戦いに関する考えを引き出すこと」こそが、本書のテーマであると戸谷さんは語る。
必然、その対話の場においては戸谷さんもまた「常人離れした戦いの人」にならざるを得ない。よって本質的にどちらがより「戦いの人」なのかは、よくわからない。
と僕は思うのだが、戸谷さん自身は「僕は戦うことが嫌な人間なんだと思う」とはっきりと述べている。

二人の戦いの軌跡を見てみれば、基本的には世界にあまり歩み寄りを見せない糸谷に気づいて、戸谷さんが歩み寄っていく、あるいは歩み寄らせようとする様子がうかがえる。
意識的にそう振る舞っているのか、自然に会話するとこうなるのか、それとも僕の勝手な解釈なのか、興味を持たれた方にはぜひ確かめてほしいし、意見を聞いてみたいところでもある。

あとがきを読んでみれば、まるで返書のようにまえがきと対になる内容が並ぶ。
飛んできた球すべてを律義に打ち返す彼のスタイルは、「糸谷哲郎がごく普通であるような世界」においても、何ら変わるところはない。

この対話について彼が「’哲学の話があまり出ないと’これだけ和気藹々としゃべることができる」と書いているのはなんとも面白い。たぶん、狙っているとかではなく単なる本心なのだろうが、果たしてそう感じる人が読者にどれぐらいいるものだろうか。

そしてわざわざ最後の最後に「最後まで読まなくても大丈夫ですので」と書く著者も珍しいとは思うが、たしかに普通の人生を送っていて役に立つような内容ではないし、読んでいてところどころ、大変疲れることも請け合いである。

たとえば冒頭「勝負とはどういうものですか」と問われた糸谷は、「まずどこからどこまでを勝負とするかという問題があります」と質問の定義づけから話を切り出す。議論というのはこういうものなんだな、難しいな、と僕は思う。
難しいけれど、実に興味深い。とも僕は思う。

ただ難しいけど興味深いばかりでは読者がついてこないので(ということだと解釈した)、そこは「世俗的な」戸谷さんが、いろいろと仕掛けを用意してくれている。
とても読み応えがあり、楽しい一冊だった。

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