直感とは何か

将棋世界3月号、「イメージと読みの大局観」に出ている「直感の7割は正しい」(と思うかどうか?)に対する回答が興味深かったです。

たとえば郷田九段の「直感ではこの手が正しいと思っても、読みの中でそれを証明できないときが困る」というのは実感としてものすごくよくわかりますし、木村九段の「仮に直感の7割が正しいとしても、残りの3割がずたずただったら、ひどいことになる」という言葉もなるほどと思いました。
このあたりは表現の差こそあれそれほど大きな違いはないのかなと思ったのですが、若い増田五段が「何も読まず、直感だけで指したほうが勝てるんじゃないかと思うことがあるくらいです」と驚きの発言をしている一方で、さらに若い藤井五段は「自分はとても7割はいきません」と謙虚な(?)発言をしていたりで、こうなるとけっこう感覚が異なる感じです。

「7割」というのはあくまで体感でしかないので、数字としての厳密な意味はないとしても、棋士によって思った以上に感覚が違うものなのだなと思いました。
ちなみに自分自身は、直感で7割の「最善手」が浮かんでいるとは思えないですが、自分の実力ではどうやっても読み切れないor正解が判断できない局面も多いので、そういうのを除けばたしかに7割ぐらいはあるような気がします。
つまり後から考えて、「この手が正解だ(った)」と自分が判断する手が、直感の時点で5~8割ぐらいは浮かんでいるのではないか。というイメージです。

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もうだいぶ前のことになるんですが、「自分がなぜ、直感でその手が浮かんだのか」を、「言語化」できないものかと考えたことがありました。
自分もプロの端くれなので、多くの場合(「7割」?)においては、パッと見て良い手が浮かぶわけです。

この7割の中には、誰もが第一感で浮かぶ手ももちろんあります。
たとえばちょっと強くなってくると、▲2四歩と突かれたら△同歩と取るし、▲2二角成と角交換されたら△同銀と取り返すようになります。
しかしそういう単純な局面ではなく、ある程度強い(たとえば三~四段ぐらい)アマチュアの人ではなかなかそこに手が行かないのに、プロは不思議と誰もがそこに手が行く、というようなケースがたしかにあるんですよね。
具体例が難しいのですが、たとえば記者の方に棋士がかわるがわる解説していて、ひと目で示す手は誰もが同じで記者の方はへーっとなる、みたいな場面は舞台裏ではよくあります。

それはなぜなのか?を一時期ずいぶん考えたのです。
でも結局よくわからなくて、残念ながらあきらめました。
その理由を「長年の経験」「鍛錬の賜物」などと表現してしまうのは簡単なのですが(実際そうだろうし)、何がしか理由があるはずだと思うんですよね。
ただその何がしかが、自分の力ではうまく言語化できませんでした。

もしこれができれば、アマチュアの方の棋力向上に、とても役立つのではないかというのが考えだした動機の一つでした。
良い指導法が確立できそうな気がしたのです。

もうひとつ、さらに大きな動機は自分自身が直感の段階でミスをしてしまっている3割の部分が明確になれば、弱点がはっきりしてそれを克服できるようになると思ったのです。
現実には自分がなぜミスをしてしまったのか、分からないことも多いままです。
明らかな悪手を悪手だったと後から振り返って分かるのはプロなら当たり前のことで、なぜその悪手を指してしまったのか、のほうが大切です。
ただ根本的なところはなかなか分からないし解決しません。
それはきっと自分に限ったことではないはずです。

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AIが人間の「思考」というものをより深く理解できるようになったら、もしかしたらそういうことが解明されるのかもしれないとその頃からずっと思っています。
現在のAIはまだそういうレベルにはほど遠いと思うのですが、自分の棋力がまだある程度高いうちにその端緒だけでももし見ることができたら、面白いだろうなと想像しています。

 

1件のコメント

  1. はじめまして。コメント失礼します。
    私は楽器を弾くのですが、所謂ジャズのアドリブ演奏などと通じるポイントが多いように思います。

    戦型=曲
    局面=コード
    指し手=メロディ

    一度、ジャズ奏者の方と棋士の対談を聞いてみたいです。

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