電王戦と名人戦が終わって、いま僕の思うこと

もう遠い昔の出来事のように感じる方も多いのでしょうか。
先日、コンピュータに現役の名人が敗れるという、将棋界にとって歴史的な出来事がありました。
僕はもうだいぶ以前から、もしその日が実際にやってきたときに、名人位というものの権威、あるいは名人戦の価値というものは(もちろん他のタイトルや公式棋戦も)、いささかも揺らぐことはないと、思っていました。
ずっと前からそう考えていて、そしていまも、同じように考えています。
今日は「そのことについてはまた改めて」と書いた、あのとき思ったことを書いてみます。

 

電王戦では、これまで多くの棋士がコンピュータと対戦しました。
しかし、タイトルホルダーの登場はこれまでになく、今回、初めて実現しました。
そして電王戦は、今回が最後です。最後の最後で、名人が舞台に上がったのです。
偶然にしては、あまりによくできた筋書きです。
だから僕は、これは将棋の神様が選んだ歴史なのだと、そういうふうに考えています。

僕自身、2度にわたって5対5の団体戦で担当理事を務め、さらに、新棋戦の立ち上げにも関わりました。
(※新棋戦の叡王戦はさらにその後、今期からタイトル戦に昇格しました。ドワンゴさんには本当に感謝しています。)
そういった立場からすれば、偶然とは、おかしな表現かもしれません。

しかし、実際には思い通りに事が運ぶことなど、めったにないのです。
むしろ現実は、思いがけない出来事の連続でした。
そんな中で、実際に舞台が用意され、対局が行われてきたことは、本当に幸運なことだったと思っています。

対局の結果は偶然はとは言えないと、そういう向きもあるでしょうか。
しかし、タイトルホルダーといえども、いつも勝てるわけではありません。
いま快進撃を続けている藤井四段だって、いつかは負けるはずです。
誰がエントリして、誰が勝つかは、全く分からないところからのスタートでした。

叡王戦の決勝トーナメント、とりわけ準決勝・決勝は、熱戦続きでした。
千田六段や羽生三冠、あるいはほかの棋士が優勝して、コンピュータと対戦することになっていても、おかしくなかったでしょう。
そうなったらなったで、「今回で最後」ということには、変わりなかったはずです。

最後の最後に、結果的に名人が対戦することになって、良かったのかどうか?
僕は、良かったと思っています。
ただこの「良かった」の意味を書き表すことは、なかなかに難しい。
それこそ語りつくせぬほどの思いが、僕にもあります。
でもあえて一言だけ言うならば、将棋の神様が、将棋の歴史をそう決めたのです。間違っているとは思えない。
来たるべき未来が、とても良い形で来てくれたと、将棋界は未来に祝福されたのだと、僕はそう思っています。

電王戦というイベントにおいては、「もしタイトルホルダーが負けたら」という心配と、常に背中合わせの日々でした。
先にも書いた通り、僕は、心配ないと思っていました。
僕と同じ意見の人もたくさんいたし、逆の意見の人もたくさんいました。当たり前のことだと思います。
いずれにせよ、今回、ひとつの結末を迎えました。
そして本当の意味での結果が出るのはまだこれからです。
いま、皆さんの目には、どう見えているでしょうか?
来年の春、来期の名人戦が始まる頃には、どうなっているでしょうか?

 

佐藤名人にとっては、電王戦と並行する形で行われることになった今期の名人戦。
第1局と第2局は、お互いの気合が、ちょっとズレたところでぶつかったような内容と感じました。
第3局以降は、お互い波長が合って、大熱戦が続きました。
とりわけ全国一斉の解説会が行われた第3局が熱戦になったことは、本当に良かったと思います。
個人的には、防衛を決めた第6局が、一番印象に残っています。
見慣れない局面が続く中で、正確な指し手を紡いでいく。
トップ棋士の技術の確かさを示す内容だったと思います。

名人戦を楽しむ媒体もより多様化して、厚みが加わった印象を受けています。
いろいろな形で、いろいろな層のファンが、名人戦を楽しんでくれたことを、実感しています。
ファンがもし、名人位という権威の失墜を感じていたらば、こういう形には、たぶんならなかったでしょう。

これからも、多くの棋士が、この最高峰の場所を目指して、切磋琢磨、研鑽を積んでいきます。
それぞれの棋士が技術と個性を磨き、それをぶつけ合い、その頂点に名人戦という舞台があります。
そうである限り、その価値はいささかも揺らぐことはないと、僕は確信しているのです。

 

 

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