クラウドファンディング・等

第100代という節目の総理大臣に、広島出身の岸田さんが就任されました。
子供の頃からよくポスターを見かけた記憶はあったのですが、どうやら1993年が初当選だったようです。
平成5年と言えば、ちょうど僕が奨励会に入った年です。つまり実質同郷・同期ですね(違
これから、日本の未来のために頑張ってほしいです。
広島の棋士だ、というところを見せてほしいですね。

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既報の通り、今年の総会で東京も将棋会館の移転が決まり、このたびクラウドファンディングを募集する運びとなりました。
#将棋を次の100年へ|新・将棋会館建設プロジェクト【第一期】(readyfor)
「次の100年へ」というのは、2024年に日本将棋連盟が創立100周年を迎えることと、関係しています。

返礼品として色紙や扇子等の定番のものに加えて、銘板や感謝状、イベント参加や通話など、さまざまなものをご用意しています。
将棋ファンの皆様方には、どうかご支援のほど、よろしくお願い致します。
返礼品のアイデアも募集しているそうです。

以下はちょっとした思い出話。

僕が現在の将棋会館に初めてやってきたのは、おそらく1991年、小学校4年生に上がる年だったと思います。
当時は、小学生名人戦に地区大会はなく、東京での全国大会のみ。ひかり号で5時間かかる時代でした。
広島から本多先生に連れてきてもらい、1学年上の山崎少年とともに将棋会館の5階の和室に泊まって、大会に参加しました。前の日には、道場でも指した記憶があります。
同じように遠征組だったのが北海道勢で、いまはアマ強豪として有名な清水上さんと初めて指したのが、このときでした。
普段顔を合わせられない、強い子供と指す機会はとても貴重で、さぞ楽しかったと思います。
当時は全国大会といえば小学生名人戦の他には週刊将棋の大会だけで、大会が増えてネット将棋もある現在は、隔世の感があります。

ちなみに関西将棋会館に初めて行くのはそれから数年後、奨励会入会試験でした。
自分の場合、以来6年ほどは関西がホームグラウンドになり、大学進学とともに東京に移籍して、現在に至ります。
関西会館にはそれこそ奨励会のたびごとに泊まっていたので、こちらでも多くの思い出があり、また、前夜に他の奨励会員と指すことが交流であり修行にもなりました。懐かしい日々です。

新しい将棋会館でも、多くの出会いと数々の名勝負が生まれることを、期待しています。

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